教えのやさしい解説

大白法 533号
 
真言亡国(しんごんぼうこく)
「真言亡国」とは、『建長寺道隆(どうりゅう)への御状』に、
 「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔(てんま)の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」(御書 三七五n)
と示されるように、真言宗の教えが亡国の邪義・悪法であることをいいます。
 真言宗では大日如来(だいにちにょらい)を本尊とし、真言三部経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経(そしっじきょう)を依経(えきょう)としています。
 日本における真言宗の開祖である弘法(空海)は、その著『十住心論』に「法華経は華厳にも劣るが大日経には三重の劣」として、法華経を大日経・華厳経に次ぐ「第三の戯論(けろん)」と誹謗し、釈尊を無明(むみょう)の仏と下(くだ)しました。
 しかし、大日如来は現実に出世成道(しゅっせじょうどう)した仏ではなく、釈迦応身(おうじん)の方便の教説中における仮の法身(ほっしん)、理仏(りぶつ)であり、法華経の久遠実成の仏、法報応(ほっぽうおう)の三身円満具足の仏より見れば幾重(いくえ)にも劣る仏です。これを実仏(じつぶつ)として釈尊より勝る仏というのですから誑惑(おうわく)の至りです。
 また、十界互具(じっかいごぐ)、百界千如(ひゃっかいせんにょ)、一念三千の法門はただ法華経にのみ説くところであり、その現証としての二乗作仏(にじょうさぶつ)・久遠実成(くおんじつじょう)は、大日経には全く存在しません。ゆえに一念三千・性善性悪(しょうぜんしょうあく)の義は大日経には全くないにもかかわらず、諸尊の漫荼羅を作り、即身成仏を立てるのは、法華経の一念三千を盗み取る証惑の邪法といえます。
 大聖人が『撰時抄(せんじしょう)』に、
 「予(よ)此の釈(しゃく)にをどろひて一切経並びに大日経の三部経をひらきみるに、華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論、六波羅蜜経(ろくはらみっきょう)に対すれば盗人、守護経に対すれば無明の辺域(へんいき)と申す経文は一字一句も候わず」(同 八五六n)
と仰せのように、弘法(こうぼう)の説く内容は根拠のない、勝手極まる邪説です。
 また、大聖人は同抄に、
 「但し承久(じょうきゅう)の合戦にそこばくの真言師のいのり候ひしが、調伏(じょうぶく)せられ給ひし権(ごん)の大夫殿はかたせ給ひ、後鳥羽院は隠岐(おき)の国へ、御子(みこ)の天子は佐渡の島々へ調伏し」(同 八六二n)
と示されるように、亡国悪法の現証として日本国未曽有(みぞう)の大政変であった承久の乱を挙げられています。すなわち後鳥羽院が国主として賊徒(ぞくと)調伏のために真言の秘法をもって祈祷(きとう)を行わしめ、国中に北条家追討(ついとう)を号令しましたが、戦いの結果は朝廷方の惨敗(ざんぱい)となり、後鳥羽・順徳・土御門(つちみかど)の三院はそれぞれ隠岐、佐渡、土佐に流されたのです。
 ゆえに大聖人は、邪見誑惑の弘法を、
 「天下第一の自賛毀他(じさんきた)の大妄語(だいもうご)の人」(同 一一四七n)
と断じ、このような主客顛倒(しゅきゃくてんとう)の教法で国家を祈祷するゆえに「真言亡国」と破折せられたのです。
 私たち法華講員は、このような邪義・悪法にとらわれている人たちに対し、正信に目覚めさせるべく折伏を行い、平成十四年の三十万総登山に向けて精進いたしましょう。